【ネタバレ注意】文学と舞台への新たな挑戦ー舞台「文豪とアルケミスト 異端者ノ演舞」

織田ともか

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1月9日、木曜日。

 会場に足を踏み入れた瞬間目に飛び込んで来た、薄暗い舞台に浮かび上がる歯車。首筋がぞわりとした。

舞台「文豪とアルケミスト 異端者ノ演舞(ワルツ)」。

DMM GAMESより配信されている、文豪転生シュミレーションゲーム「文豪とアルケミスト」。歯車はゲームの世界観を表す重要な要素だ。会場に足を踏み入れたと同時に、そのゲーム世界へログインしてしまったのだと私は知る。

ある時点から別の歴史を歩んで来た日本。その世界で人々に希望や個性を与えていた文学書が突如黒く「侵食」される現象が発生。侵食され切った本は人々の記憶からも消されてしまう。それを阻止する為に特務司書(アルケミスト)に任命されたプレイヤーは文豪を召喚し、文学書を侵食する者達と戦う、という筋書きである。

そう、今回は2.5次元舞台である。かなりの舞台好きな私だが、2.5次元舞台には正直なところ抵抗があった。こう、超えてはいけない壁の様なものを感じていた。


なのに何故今回観劇に至ったのか。


答えは至極簡単だ。

第1弾「余計者の挽歌(エレジー)」が面白すぎたからである。



舞台第1弾は昨年2月に上演された。しかし私は例の如く「2.5次元はちょっと」とやり過ごしてしまった。するとどうだろう、私のツイッターのタイムライン上に、舞台を絶賛する声が連日のように流れて来るではないか。「尊い、しんどい」と泣くフォロワー様達の声に、私は自分のちっぽけな蟠りを後悔したのである。

DVDは、何度も観た。何日も観た。これがもしビデオテープだったならば恐らく擦り切れていたであろう。そのくらいは観た。


全てが予想の遥か上だった。キャラクターの容貌だけでない。その性格、仕草の解釈、ゲーム世界観の解釈、正直ここまで原作に寄せて来るとは思わなかった。ぎりぎりと神経を削って来るような容赦の無い脚本。それでいてエンターテイメントとして成り立っている見事な演出。

そして、それを受け止められるだけの奥行きと広さを持っている「文豪とアルケミスト」というゲームの再発見。

文豪達は、舞台の上で、間違いなく「生きて」いた。その息遣いがドラマにより一層のリアリティを持たせる。

芥川龍之介の内包する苦しみと彼を引き留める太宰治が差し伸べる手を通して「生きろ!」と強烈なメッセージを放った第1作。そして、無邪気に志賀直哉を慕う武者小路実篤の心の奥底に眠っていた、もしかしたら誰もが覚えがありつつも多くは目を背けているであろう、後ろめたい「闇」を容赦なく抉り出し見事に昇華させた今作。

脚本が、演出が、役者が、舞台を構成する全ての要素が「文豪とアルケミスト」の世界へ果敢に挑戦し、戦いを挑む。文豪達の言葉が、作品が具現化された武器を手に彼等は道を切り拓いて行く。鞘走る刃の煌き、引き絞られる弓の弦の如き緊迫感、胸を貫く言霊の弾丸、激しく打ち付けられる鞭の音の余韻と陶酔…。

そう、これは挑戦だ。私たち観客をも巻き込んで、新しい文学と舞台の境地に辿り着こうという挑戦だ。

「2.5次元舞台はちょっと…」と二の足を踏んでいた己を激しく内省したい。大体多くの人が舞台を観に行く理由は何だろうか? それが興味のあるテーマだから、好きな役者が出演しているから、脚本家や演出家が好きだから……。まさしく内輪受けの世界ではないか。重要なのは「共有する事」。会場で、スタッフが、役者が、観客が一体となって共有した感動のカケラがある時私の前に溢れ落ちて来て、今回私を劇場へと導かせた。そうして世界は広がっていくのだろう。

帰りの電車で、私は放心状態で座っていた。魂と肉体を得て生きて戦う彼等をゲーム画面を通してではなく、幸運にも同じ空間で見届ける事が出来た特務司書(アルケミスト)としての心地良い疲労感と共に。



※公演は1月13日まで品川プリンスホテル ステラボールにて。
※1月13日(千穐楽日)の昼公演、夜公演はニコ生にて配信決定(有料)。詳しくは公式ホームページまで


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