昨日(令和2年1月12日)、デモが行われた。安倍退陣を掲げ東京から全国各地に波及するように広まったそのデモは、潜入したからあげ捜査官の報告を聞くに、まだ参加者数は少なくはあるが肯定的に受け入れられているような雰囲気であったらしい。
誰であろうとコンビニに買い物に行く感覚で自分の主張を表明していい、からあげをついばむ感覚で示威行為をしていいのだ、という風潮が広がれば、閉塞感のある社会、不寛容な社会というのは急速に姿を変えることだろう。
それが20年後になるか、50年後になるかはわからない。
だからこそデモというものはどのようなものであっても社会に訴える手段としては支持をする。もしそれが差別的な主張ならば、たとえ寒空の中だとしてもふんどし一丁、ねじり鉢巻、プラカを一枚「恥を知れ、レイシスト」と掲げてカウンターに参加するだろう。
しかし、最近保守界隈で第二のケント・ギルバードやテキサス親父(トニー・マラーノ)かと評される在日ウクライナ人のナザレンコ・アンドリー氏がこのようなツイートをしていたのだ。


以前より、ナザレンコ氏のTwitterは日本人がツイートしているのだろうと噂があったのだ。
本人は否定しているものの、やはりツイートの内容に違和感があるのだ。
アイデンティティをウクライナ人においたツイートが常なのだが、時折どこか日本人からの目線を匂わせていたからである。
では今回のツイートはどうであろう。
ウクライナ人としての目線からツイートするのであれば「イランや香港の方、申し訳ありません」など付け加えることはあり得るのだろうか。
そもそもなぜ彼がイランと香港に謝罪をしているのか。
アメリカに住む日本人や韓国人、ブラジル人、スペイン人など多くの方と出会ってきたのであるが、アメリカ人が他国において何かしでかしたりした場合、アメリカを代表して謝るようなことはまずなかった。
「アメリカに住む者として申し訳ない」
という言葉さえ聞いたことはない。
愛着があるなしの話ではない。そして個々人は違うからと、たかだか私の経験則として終わらせる主張でもない。
わかりやすくたとえるならば、
「イランや香港の方、申し訳ありません」
「ナザレンコ氏が立っている(と認識している)場所」から放たれたその言葉は、 オクラホマ空港の到着ロビーにおいて「テキサスへようこそ」と紙を持って立っている人をいたときと同じ感覚である。
では過去のツイートも見てみよう。

ヤマトのしょっぺえ替え歌である

オウム真理教のげっすい替え歌である。
これだけならばまだやはり根拠として薄かったが、今回のポロっと出てしまった主観は紛れもなく日本人によるものの可能性が高い
ナザレンコ氏にはテキサス親父のようにナザレンコ日本事務局のようなものがバックに控えているのだろうか。もしくはナザレンコ氏自身がガッツリとネトウヨビジネスで売っていこうと日本人スタッフを雇っているのか。
凍結してしまったテキサス親父日本事務局の藤木俊一よりは凍結しない分だけ優秀なのだろう。
特に誰が運営してようともどうでもいい話だ。しかし問題は、ナザレンコ氏が「自分がツイートしているのだ!!」と言い張っていることで、日本文化などに造詣が深い人物としての祭り上げられているのが滑稽であるから、どうしてもツッコミたくなってしまうのだ。

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コメント
面白くない。修行せよ。
面白くないのは このブログ
なざれんこの気持ちはよくわかる
まさにウクライナ21だな
精神異常者
ウクライナってロシアに侵略されてた気がするけど祖国に帰って戦わないのか?ウクライナには徴兵制があるのになぁ
難癖っつうのはデモに対して言ってるこの自称ウクライナ人のことだよな?
よく分からんかったけど
デモが楽しいのって素晴らしいことなのでは?
YouTubeで顔出ししてニュース番組に出てるのに
ツイートだけわざわざ別人がするとかあるか…?
日本人の白人コンプレックスの裏返しのような
朴泰赫、とか・・・
イザヤ ベンダサンさんを思い出した
ウクライナ人がついこのあいだ自分の祖国の飛行機を撃ち落としたイランに対して申し訳ありません?
結局これを追求することに意義はないんでしょ?
なんかイラつくからって唐揚げつまむほど簡単に人を中傷しない方がいいですよ。
元々アカウントのスペルが「ukraine」ではなくて「ukuraina」なので、無教養な日本人ネトウヨだと思いますね。
プロフの「小政府主義」と「八紘一宇」て両立するんですかね。封建政治?
八紘一宇は日本が兄貴だったと思いますが、それでこの方は良いのだろうか
海外ルーツだけどこじらせた系は在特会にもいたみたいですし、その手合いかもしれませんね
そして漂う同年代臭
難癖やめーや