スポーツビジネスと政治的主張

のーべんP

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コラム
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スポーツと政治は無関係ーー。

この言葉は、長いこと使われている。

だが、本当にそうだろうか?

プロスポーツが巨大なビジネスになって久しい。今やコンテンツ産業となったプロスポーツには、莫大な金額が動き、社会の様々な部分と密接に関わっている。

グローバルコンテンツとしてのスポーツは、世界中のあらゆる場所ーUEFA Champions Leagueは、ロンドンでも、東京でも、クアラルンプールでも、ナイロビでも、スポーツパブで流されるーに行き渡り、今この瞬間も金を産み落とし続けている。

コンテンツ化されたスポーツビジネスは、最大の「商品」である選手のイメージを高めることに意識を向ける。

ファッション、プレー、プロフェッショナリズム、ファンサービスーーそして、コメント。そう、何もかもをだ。

その結果、エリートプレーヤーは、模範的な人間となっていった。

無害で、健全で、当たり障りのない人間。

個人として自由と民主主義、人権のあり方について確固たる信念を持っていても、そのことを表明できなくなっているのだ。

政治的だから、ではない。

マーケットを失うから、である。

現在、あらゆるコンテンツ産業がターゲットにしているのは中国である。

経済成長によって多くの家庭にデバイスが行き渡り、そしてコンテンツに落とす金を持てるようになったからだ。

テニスも、バスケも、サッカーも、このマーケットと、そこにある資金に魅力を感じている。その事が、スポーツ選手の自由を蝕み、問題を解決することを困難にしているのだ。

 去年の12月、ロンドンに本拠地を置くサッカークラブ、アーセナルに所属するドイツ人MFのメスト・エジルは、中国におけるウイグル人への弾圧(と、そのような人権問題を放置するイスラム社会)をTwitterで厳しく批判した。彼はトルコ系のムスリムであり、宗教上の同胞への過酷な扱いを許せなかったからだ。

結果はどうか。

アーセナルの試合中継は中止(アーセナルはイングランドの名門で、中国でもファンが多い)され、中国市場版のウイニングイレブンで、彼の存在は抹消されたのである。

この件に関して、アーセナルは「我々は政治とは無関係」と、火消しを行ったが、それは同時に、人種差別撤廃を掲げるサッカー界が、中国の人権問題には声を上げられないことを示した。もっとも、エジルにも処分はなかったので、これはまだ「マシ」かも知れない。

それでも、中国国内でも人気のあったアーセナルは、そのマーケットを後退させてしまっただろう。

勿論、中国の人権問題に声を上げたのはエジルだけではない。それどころか、選手でなくとも例外とはならない。

NBAのヒューストン・ロケッツのGM、ダリル・モーリーは、香港のデモを支持した一人だ。自由の国で、自由と民主主義を求める人々を支持した彼を待っていたのは、ビジネスの論理と抑圧だった。

新たなファシズムは、ロケッツに莫大な金をもたらしている中国のパートナー企業や数百万の中国のバスケットファンからの「抗議」として現れた。

ロケッツもNBAも、彼を守ることはしなかった。「政治とは無関係」のもと、香港の人々よりも大陸のマーケットを選択したのだ。

結果、彼はまもなく謝罪に追い込まれてしまっている。

最も厳しい扱いを受けたのは、香港のe-sportsプレイヤー、ワイ・チョンだ。彼は、ハースストーンのアジア大会でのインタビューで「香港を解放し、僕たちの時代に革命を!」と発言したが、待っていたのは一年間のハースストーン大会への出場停止処分(彼のコメントを好意的に捉え、拍手を送ったキャスター2人も降板に追い込まれた)というきわめて重い罰だった。

運営元のBlizzard Entertainmentは、「一部、または多くの人々を怒らせ、Blizzard Entertainmentに損害を与えることを禁ずる」規則に違反したためであり、中国当局とは無関係で、言論の自由を抑圧するつもりはない、との声明を出した。

Blizzard Entertainmentの株式の5%を中国IT企業のテンセントが保有しているが、おそらくそのこととも無関係だろう。

中国は金を世界にばら撒くことにより、行動できる地位にある者たちに、首輪を付けることに成功したのだ。誰もが中国共産党の暴虐を知るが、それを公に語ることは許されなくなったのだ。

資本主義社会において、自由と人権を抑え込めるのは金であると、習近平は知っている。

この問題は複雑だ。膨れ上がるスポーツビジネスにより、確かに安全でクオリティの高いショーコンテンツとしてのスポーツを、全世界に提供できているのだから。

そして、金の出処は中国以外にもある。

平日に中国の香港への弾圧を否定し、中東における人権侵害を批判する人々は、週末に愛するチームや選手を支える金がどこから来ているかについて考えることはない。

イタリアの名門、インテル・ミラノを運営するのは中国の蘇寧グループだ。イングランドのマンチェスター・シティは、UAEの資本を受け入れることで、マンチェスターの中心を”シアター・オブ・ドリームス”オールド・トラフォード(マンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアム)からエティハド・スタジアムに変えてしまった。

魅力的なチームになる為、より支配的になる為、巨大なパトロンを受け入れる。それはスポーツとかけ離れて見えるが、スポーツにおいてもそれが勝利への近道となっている。アーセン・ベンゲルは、これをマネードーピングと表現した。

母国における民主主義の重要性を訴えることはできるが、雇い主の機嫌を損ねることはできない。それが現代のスポーツ界だ。

ドナルド・トランプの差別主義に抗議を行えても、習近平やタミーム・ビン・ハマドが行うことに抗議することは許されなくなってしまった。

この状況をすぐに変えることは難しい。個人競技にせよ、チーム競技にせよ、スポーツには全て、勝利の為に金が必要となった。

よりよい環境、コーチ、スタッフ。

手に入れるにも維持するにも、莫大な金がいる。そして、ビジネス化を毛嫌いするファンでも、競技レベルが落ちることや、愛するチームが弱くなることは受け入れられないだろう。

中国やカタールの金を拒否しろ、というのは簡単だが、それは不可能になったのだ。

それに、中国のスポーツファンからスポーツを取り上げろというのも暴論だ。

中国、そしてアラブ諸国が民主化されるのがベストな解決策だが、その兆候は見えない。

ならば、やはり僕たちが声を上げ続けるべきではないか。小さくとも、連帯を示さなければならない。彼ら、彼女ら選手や関係者を支える必要がある。

そんな中で、残念なニュースが飛び込んできた。

失望を覚えるものだ。

IOCが、選手が片膝をついたり、拳を上げるようなジェスチャーは「政治的主張にあたる」として禁止行為のリストに書き加えたのだ。

去年、アメリカでトランプに抗議する意味で片膝をついたNFLの選手達がいたのを覚えているだろうか。

彼らは、IOCからすれば規則違反者となる。

或いは、リオオリンピックでエチオピアの選手が、母国の政府に抗議する意味で両手を掲げて☓をつくったこともあったが、これもまた規則違反だ。

しかし、考えてみてほしい。

オリンピックが平和の祭典を謳うならば、人種差別や性差別を隠そうともしないトランプや、少数民族を弾圧したエチオピア政府に抗議の意を示した彼らをこそ擁護するべきではないのか。

見せかけ上の公平性の為に、そうした選手たちを抑圧するのは正しい判断とは思えない。

「スポーツと政治は無関係」

この言葉は、ルーツや政治的背景、思想が違っても、競技場では対等なものとして対峙する、そういった文脈で使われるべきだ。

人権を抑圧しているパトロンの怒りに触れないために、権力者に都合よく使われて選手たちを切り捨てるためにあってはならない。

最後に、フランコ独裁政権時代にスペインに渡り、レアル・マドリーからのオファーを蹴ってバルセロナに加入した伝説的なオランダ人選手のヨハン・クライフの言葉を紹介たい。

「私はファシズムには与しない」

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