唯物弁証法再考 ー エンゲルスの諸法則から資本論のマルクスへ ー

久路喜之

政治
この記事は約9分で読めます。



 弁証法は、強力な思想的武器である。この武器を進歩主義陣営に留め置くために、弁証法について、特にマルクス主義的な唯物弁証法について、再考してみたい。

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唯物論的弁証法の点検

 革命家カール・マルクスが弁証法をどう捉えていたかを知るには、主著である『資本論』をひもとけばよい。ドイツ観念論の哲学者ヘーゲルを批判的に学んだ彼は、第2版の後書きで、弁証法は「現存しているものの肯定的な理解の中に、同時にその否定の理解、その必然的没落の理解を含むもの」であると述べている。さらに続けて、弁証法は「生成した一切の形態を運動の流れの中に、したがってまた、その経過的な側面にしたがって理解するもの」であって、「何ものも恐れず、その本質上批判的で革命的なもの」であるとも記している。後ろの記述ほど付随的な説明であるとすれば、ここでのマルクスの解説から

 弁証法は、「現存しているものの肯定的な理解」である。

という要言を導き出すことが可能だろう。

 しかし、マルクスによるこの説明は、必ずしも一般に広くは知られていない。マルクス主義者らが唯物論的弁証法(唯物弁証法)について学ぶとき、彼らが目にするのは、エンゲルスの抽出した「法則」を取り扱ったテキストがほとんどなのではないだろうか。

 フリードリヒ・エンゲルスはマルクスの盟友であり、今日では古典となっている数々の著作を世に送り出したマルクス主義の思想家である。彼によれば、弁証法の諸法則は次の3つの法則に帰着する。すなわち、

量の質への転化(、またその逆の転化)

対立物の相互浸透

否定の否定

が、それである。以下、それぞれの意味するところを簡単に説明しよう。

 まず、「量の質への転化」であるが、これは「量的変化がある一点に達すると突然に質的転換が起こる」(『反デューリング論』)という法則である。実例としてエンゲルスがあげているのは、水の温度変化である。「水は、標準気圧のもとでは、摂氏零度で液体状態から固体状態に移行し、摂氏100度で液体状態から気体状態に移行する」(同上)。「その逆の転化」(質の量への変化)については、元素変換による莫大な熱量の放出(すなわち核分裂や核融合)が参考になろう。

 次に、「対立物の相互浸透」であるが、これは「ある対立の両極、たとえば積極的なものと消極的なものとは、対立していると同時に、またたがいに分離しえないものであり、まったく対立していながら、互いに浸透しあっている」(同上)という法則である。このような観点から考察した場合、エンゲルスによれば、原因と結果なども、「たえずその位置を換え、いま、あるいはここで結果となっているものが、あそこ、あるいはつぎには原因になり、またその逆もおこなわれる」(同上)とされている。現代の我々であれば、このような原因と結果の例として、経済活動での好循環や悪循環(負のスパイラル)などを想い起せばよいだろう。

 最後に、「否定の否定」であるが、これは「反対物の統一」の法則である。「対立物の相互浸透」と違うのは、「否定の否定」が「発展法則」(『反デューリング論』)だということである。イメージとしては、一粒の麦の消滅(=否定)としての発芽・成長・開花・受精がなされた後に、麦粒が熟すると茎は死滅し(=否定の否定)、数十倍の麦粒が得られるという一連の過程が挙げられる(同上参照)。この過程で、「種子」の反対物である「根・茎・葉」が、再びその反対物の「種子」へと統一され(しかも数も増し)ているということになる。

 ここで一つ注意すべき点が出てくる。それは、この3つの法則がおのおのが独立した形で並列されているということである。エンゲルスは『自然の弁証法』で「ここでは、弁証法のハンドブックをつくるには及ば」ないとし、「あの諸法則の相互間の内的関連に立ち入るわけにはいかない」と述べ、それ以上の説明を割愛している。しかし、今や21世紀である。いつまでも理論的な空白を放置しておくわけにはいかない。進歩主義陣営に武器としての思想を用意するためにも、我々はこの未踏の「内的関連」に立ち入り、そして、エンゲルスの著した弁証法とマルクスの記述した弁証法との間の、分裂しているようさえ見える隔たりに橋を架けなければなるまい。

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法則の命題化とキーワードの抽出

 両者の弁証法に架橋するためにはどうすればよいか。直接的にアプローチしようとしても手掛かりがないので、ここでは手掛かりを求めるところから始める。我々の目の前にあるのは、言語で記述された弁証法の諸法則である。そこでテキスト操作を間接的に手法として用いることで、この課題にアプローチを試みてみよう。

 エンゲルスが取り上げたのは、次の3つの法則であった。すなわち

量の質への転化(、またその逆の転化)

対立物の相互浸透

否定の否定

がそれである。
 まずは、「量の質への転化」から見ていこう。今この法則は「形容句+名詞」という形式で記述されている。これを、主語と述語からなる文章に書き換えるとどうなるか。

 量は質に転化する。

 なるほど、一見しただけなら、これで文章としては意味が通じるように思えるだろう。しかし、果たして本当にそうだろうか。いついかなる場合でも、量は質に転化するのだろうか。いや、そんなことはあるまい。なぜなら量が質に転化するのは、ある条件が満たされた場合に限られるからである。その条件とは何か。量が限度を超えることである。したがって、正しい書き換えは、こうなる。

 (限度を超えた)量は質に転化する。

 カッコ書きの箇所は、先程の文章にあった欠落を補っている部分である。
 真偽の判定が可能な文章は、一般に「命題」と呼ばれる。そこで、以上のようなテキスト操作を、本稿では「法則の命題化」としておこう。

 さて、エンゲルスによれば、弁証法には「諸法則の相互間の内的関連」が存在する。それがあくまで「内的」連関であるということは、その相互間の連関が外部に表面化されていないことを意味する。そして今、法則の内に埋もれていた「関連導出の手掛かり」らしきものが、法則の命題化によって浮かび上がってきた。命題化のために先程の文章に補ったカッコ書きの箇所がそれである。「量の質への転化」の法則について言えば、「(限度を超えた)」という法則成立の要件を示さなければ、その命題化はなされなかった。

 以上の処理の仕上げに、このカッコ書き箇所を名詞化することで、法則成立の要件をキーワードとして抽出することが可能である。では、「限度を超えた」を名詞化した場合、いかなるキーワードが抽出されるだろうか。

 〔超越〕こそが、その答えとなるだろう。

 そして、この手順は「(、またその逆の転化)」である「質の量への転化」にも準用できるであろう。

 2番目の法則は「対立物の相互浸透」であった。これをそのまま文章化するとどうなるか。

対立物は相互に浸透している。

 このままでは、浸透が、一方通行を交代しながらなのか、それとも双方向に同時になされるのか、読み方によってどちらにも受け取れてしまうことになる。そこで、先に引用したエンゲルス自身のテキストにならい、書き換えてみよう。

 対立物は相互に浸透し(合っ)ている。

 このようにカッコ書きの箇所を補えば、文意が(多義的でなく)一意的となり、命題として成立するようになる。そしてこの「(合っ)」の箇所は「混じり交わり合っている事態」と捉えられるから、名詞化によって〔混交〕というキーワードが抽出できるだろう。

 3番目の法則は「否定の否定」である。これを文章化すると

 否定は否定される。

となる。
 しかし、このままでは「否定とは否定されることである」という同義反復として受け取られかねない。もちろんここでは「第一の否定は第二の否定によって否定される」という意味にならなくてはならないから、この文章を命題化するために語句を補うとこのようになるだろう。

 否定は(再び)否定される。

 このカッコ書きされた法則成立の要件を名詞化することによって、我々は〔再帰〕というキーワードを抽出できよう。

 以上の説明をまとめると、弁証法の3つの法則、すなわち

「量の質への転化(、またその逆の転化)」
「対立物の相互浸透」
「否定の否定」

から、法則の命題化によって

〔超越〕

〔混交〕

〔再帰〕

という3つのキーワードが抽出できるということになる。

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そしてマルクスへ

 ここまで来れば、マルクスから要言した「弁証法は、『現存しているものの肯定的な理解』である。」という命題へと、我々も最後の一歩を踏み出せるはずである。

 〔混交〕は、「現存しているもの」である。あるいは、「現存しているもの」は〔混交〕している。

 万物は流転する。何物も、永遠にそのままではいられない。したがって、このような〔混交〕の限界を創出的に突破して、〔超越〕が生じる。それは、「現存しているもの」の否定である。

 〔超越〕もまた、永遠には続かない。それは再び否定されなければならない。否定の否定は「肯定」である。単純な肯定とは違い、この「肯定」は〔超越〕を媒介とした肯定であり、いわば一段高い肯定である。

 こうして、〔超越〕は、新たな限界に跳ね返されるようにして、「現存しているもの」へと〔再帰〕する。当初の〔混交〕は新たに〔混交〕’として、同一性を保持したまま自らを更新する。

 この関係は、〔混交〕→〔超越〕→〔再帰〕(→〔混交〕’)の循環として図式化できる。そして、この循環こそが、エンゲルスの諸法則の「内的関連」であると筆者は考える。なぜなら、これらのキーワードは、彼の諸法則から表出させたものだからである。

 〔混交〕’は、超越からの再帰によって実証された〔混交〕である。「現存しているもの」の実証なき把握は独断に過ぎない。〔混交〕は、〔混交〕’によってこそ初めて真に「理解」される。この意味において「肯定的な理解」とは「『否定の否定』による理解」であり、それには「超越からの再帰による実証」が不可欠である。ここからの帰結として我々は、「〔肯定的な)理解」と「(超越からの再帰による)実証」とは究極的には同義であると言えるのではないだろうか。

 考察の導いたところによれば、弁証法、すなわち「現存しているものの肯定的な理解」は、「①〔混交〕の、②〔超越〕を媒介とした、③〔再帰〕による実証」である。こうして我々は、エンゲルスの諸法則を資本論のマルクスへと繋いでみせることができるのである。

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おわりに

 弁証法という鉱泉は、まだまだ汲み尽くされていないのかもしれない。そうなのであれば、この戦略的リソースを、復古主義陣営に悪用される前に、我々の側で先取することは、彼らとの戦いを有利に運ぶための一個の布石となるであろう。

 本稿が、その観点から見て進歩主義陣営に資するものであれば幸いである。

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コメント

  1. トリ食えば名無し より:

    共産主義はカルト宗教

  2. 今日からパ翼(まじすか天使) より:

    共産と立憲をボコボコにしました「豊島区議会くつざわ懲罰委員会質疑」再生トラブルがあったため再アップ   021/09/02
    https://www.youtube.com/watch?v=WjvL-MVROvQ

  3. トリ食えば名無し より:

    共産主義黒書〈ソ連篇〉
    ステファヌ・クルトワ 著 , ニコラ・ヴェルト 著 , 外川 継男 翻訳
    この本の内容
    1917年の革命によって生まれた史上初の共産主義国家“ソ連”。レーニン主導のボリシェヴィキは、国内の権力基盤を固めるべく、白軍や農民との戦いを開始する。そこでなされた仮借ない暴力と抑圧のサイクルは、やがて後継者スターリンにより大量殺人・テロル・強制収容所を軸とする統治形態へと高められることとなる。前代未聞の犠牲者数を出すに至った政治の淵源には果たして何があったのか。長きにわたり隠されてきた共産主義の犯罪を数々の資料から白日の下に曝し、世界に衝撃を与えた書。本篇では、ソ連史の中心を占める暴力の全過程を扱う。
    言語 を 絶 す る 暴力
    克明な調査により暴かれた戦慄の真実
    史上初の共産主義国家〈ソ連〉は、大量殺人・テロル・強制収容所を統治形態にまで高めた。レーニン以来行われてきた犯罪を赤裸々に暴いた衝撃の書。

    この本の目次
    共産主義の犯罪
    第1部 人民に敵対する国家―ソ連における暴力、抑圧、テロル(十月革命のパラドックスと食い違い
    「プロレタリア独裁の武装せる腕」
    赤色テロル
    「醜悪な戦争」
    タンボフから大飢饉へ
    息継ぎから「大転換」へ
    強制的集団化とクラーク撲滅
    大飢饉
    「社会的異分子」と抑圧のサイクル
    大テロル(一九三六‐一九三八)
    収容所帝国
    勝利の陰に
    グラーグの最盛期と危機
    最後の陰謀
    スターリン主義からの脱却)

    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480097231/

    • トリ食えば名無し より:

      ウクライナでは1919年のウクライナ社会主義ソビエト共和国の成立を経て、1922年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国や白ロシア・ソビエト社会主義共和国とともにソビエト連邦を構成した。ソビエト・ロシアにとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は貴重な外貨獲得手段であった。飢餓が発生してもウクライナの小麦は徴発され、輸出に回され続けたため、それが更なる食糧不足を招くことになった(飢餓輸出)[要出典]。

      1930年代初め頃には農業集団化は自発的に行われていたが、次第に強制的なものになっていった。ソ連のOGPUは、ウクライナ民族主義者、ウクライナ人の知識人、集団化政策への反対者、そして共産党政権にとって脅威であると見なした者を容赦なく処罰した。豊かな土壌に恵まれたウクライナでも、課せられた収穫高の達成は困難で、更に当局による厳しい食料徴発に耐えられず、不満を表明する動きが現われた。また、農村部は民族主義者の溜まり場として目をつけられていた[要出典]。

      スタニッツァ・ボルタフスカヤという人口4万人の村は、食料調達に応じる事が出来ず、村の住民が丸ごと追い立てられ、男性は白海・バルト海運河建設へ、女性はウラルのステップ地帯に送られ、離散を余儀なくされた[要出典]。

      集団化政策の強行は減産を招き、割高を提出すると農民達には食料が残らなかった。更に、数々の条例が制定された。農産物は全て人民に属するものとされ、パンの取引や調達不達成、落ち穂拾い、穂を刈ると「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑を課せられた。1933年春には、エンバクや、フダンソウといった飼料を「悪用」すると「10年は強制収容所へ送られる」と言われた。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境は封鎖され、自由な出入りは許されず、首尾よく脱出してパンを持ち帰った農民達もその場でパンを没収された[要出典]。

      都市から派遣された労働者や党メンバーから構成されたオルグ団は空中パトロールで畑を監視し、農場にはコムソモールのメンバーが見張りに送り込まれ、肉親を告発すれば子供にも食物や衣類やメダルが与えられた。党の活動家達は家々を回り、食卓から焼いたパンを、鍋からカーシャまでも奪っていったと言われる。食料を没収された農民達はジャガイモで飢えをしのぎ、鳥や犬や猫、ドングリやイラクサまで食べた。遂に人々は病死した馬や人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死しており、赤ん坊を食べた事さえもあった。通りには死体が転がり、所々に山積みされ、死臭が漂っていた。取り締まりや死体処理作業のため都市から人が送り込まれたものの、逃げ帰る者も多かった。子供を持つ親は誘拐を恐れて子供達を戸外へ出さなくなった。形ばかりの診療にあたった医師達には、「飢え」という言葉を使う事が禁じられ、診断書には婉曲的な表現が用いられた。困り果てた農民達が村やソビエトに陳情に行っても「隠しているパンでも食べていろ」と言われるだけだった[要出典]。

      ソ連政府が飢餓の事実を認める事はウクライナ農民に譲歩することを意味したが、五カ年計画の成功を宣伝し、外交的承認を得ようとしていたソ連としては飢饉を認めるわけにはいかなかった。国際政治の場での名誉失墜は避けねばならなかったのである。当時ソ連に招かれていたバーナード・ショウやH・G・ウェルズ、ニューヨーク・タイムズ記者のウォルター・デュランティ(Walter Duranty)等は、「模範的な運営が成されている農村」を見せられ、当局の望み通りの視察報告を行っただけであった。一方、英国、カナダ、スイス、オランダ等各国及び国際連盟は国際赤十字を通じて、ウクライナ飢饉に手を打つようソ連政府に要請をおこなったが、ソ連政府は頑として飢饉の存在を認めず、「存在しない飢饉への救済は不要」という一点張りだった[要出典]。

      ウクライナは想像を絶する飢餓に遭い、反ソ・反共感情が高まった。そのため、のちに独ソ戦によりヒトラーのドイツ軍が侵攻した時は「解放軍」として喜んで歓迎し、大勢のウクライナ人が兵士に志願し共産党員を引き渡すなどドイツの支配に積極的に加担したほどであった。しかし、生存圏の拡大とウクライナ人を含むスラヴ系諸民族の排除を目指すナチス・ドイツもまた、ウクライナ人に過酷な政策を実施した[6]。

      結局、ソ連政府が一連の飢餓の事実を認めるのは、1980年代まで待たなければならなかった。

  4. トリ食えば名無し より:

    仏陀、イエス、マホメットときて次の世界宗教の教祖になり損ねたマルクス
    1000年早いわ

    • トリ食えば名無し より:

      科学に擬態した新興宗教
      もっとも人類を殺した百害の宗教 社会主義

    • トリ食えば名無し より:

      「ポスト東京時代に、『富国有徳のふじのくに』を作っていきたい」

       と、4期目の抱負を語ったのは、6月20日投開票の静岡県知事選挙で当選した、川勝平太氏(72)である。

       地元記者が解説する。

      「早大政経学部教授や静岡文化芸術大学学長を歴任した川勝知事は、“モノ言う学者”のイメージを武器に、仮想敵を作る手法で存在感を高めてきました」

       これまでも県が建設する文化施設に異議を唱える県議に対し、「ヤクザ」「ゴロツキ」「反対なら県議の資格はない」などと発言。日本学術会議の任命拒否騒動でも、「菅義偉首相の教養レベルが露見した」と批判し、発言撤回へと追い込まれた。

      「相手を口汚く罵るのは川勝知事の得意技ですが、背景には“恫喝外交”を得意とする中国への傾倒があるのではないかと指摘する声もあります」(同)

       実際、川勝知事は2010年に訪中して、北京の人民大会堂で当時の副主席である習近平国家主席と会談。一昨年にはG20外相会合で訪日した王毅外相と面会するなど親中派で知られる。

       それだけではない。過去に「人民日報」のインタビューに応じた知事は、こんな中国愛を語ってもいる。

      〈20歳のころに『毛沢東選集』(日本語版)全巻を読み、毛沢東の「農村(農民)が都市(ブルジョア)を包囲する」という理論に興味を持ちました〉(「人民日報海外版」12年9月25日号)

       昨年、「レコードチャイナ」の取材に応じた際は、〈この10年の中国人民の力は抜群です。14億の人民をまとめて国力に生かしていくのは、並大抵のリーダーシップではありません〉〈「一帯一路」とした構想力に敬服しています〉などと、習政権への賛辞を惜しまない。だが、世界的に問題視されている中国の排他的な経済政策や、ウイグル族への人権弾圧などには触れずじまいなのである。

       中国出身で拓殖大学客員教授の石平氏はこう憤る。

      「毛沢東が主導した文化大革命で、どれだけの中国人民が迫害を受け、殺されたことか。そうした人権侵害の歴史に目をつぶり、独裁者の理論を持てはやす知事が県政を運営することは異様に感じます。彼の政治手法は寛容的精神に欠け、中国共産党を彷彿とさせる。“ミニ毛沢東”と呼んでも過言ではありません」

       白雪が溶けた富士の山は、紅色に染まりつつある。

      「週刊新潮」2021年7月1日号 掲載

  5. トリ食えば名無し より:

    ⭕弁証法は「現存しているものの肯定的な理解の中に、同時にその否定の理解、その必然的没落の理解を含むもの」である

    ❌弁証法は、「現存しているものの肯定的な理解」である

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