なぜ予算委員会では『予算以外も』審議されるのか

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政治
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はじめに

 ちょうど一ヶ月ほど前の話だが、衆院予算委員会にて、「桜を見る会」疑惑に一つ動きがあったのを、覚えているだろうか。辻元清美議員がANAインターコンチネンタル東京に問い合わせて得た回答が、従来の安倍首相の答弁と食い違うことが問題視されたのだ。これに対する安倍首相の答弁は曖昧であり、野党は書面での回答を要求したが、受け入れられなかった。そして、反発した野党は衆院予算委員会を退席することとなった。

※より詳しい予算委員会の様子はこの記事でまとまっているが、有料記事である。

【詳報】「ホテルが上様とした可能性」首相、一般論強調:朝日新聞デジタル
 17日午前9時から、衆院予算委員会の集中審議が開かれました。安倍晋三首相が「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばして野党が反発した一件を受け、審議の場で首相が釈明しました。「桜を見る会」問題などでも追及…

この出来事について、Twitter上でもさまざまな反応があったのだが、その中にはこういうものもある。

予算委員会で桜の話をするな!

予算委員会は予算を議論する場所だろ!

スキャンダルの話してんじゃないよ!

今議論すべきは桜より新型コロナだろ!何やってるんだ!

 以前の(?)いわゆるモリカケ問題の時にも噴出していた、「予算委員会では予算だけを審議しろ」という意見である。

 こういった意見に対して反論する者もいる。「予算の使い方の問題なのだから予算委員会で審議するものだ」だとか「予算案を提出し、執行する政府の資質を問うているのだ」等だ。これらの返答には一理あるのだが、どうにも根拠としては弱い。「金額で言えば桜を見る会の額など他の案件に比べればたいしたことがない」だとか、「政府の資質を問うことは重要だけど、それ自体は予算とは関係ないでしょ」と言われたら、うっかり納得してしまいそうである。なぜか。「予算委員会では予算だけを審議しろ」という意見は、とても素朴な意見だからだ。素直に見れば、「予算委員会」と名付けられた場であるにもかかわらず、そこで審議されるのは予算とはあまり関係のないことばかり…というのは奇妙でしかない。疑問に思うのは当然である。素朴な意見は、それが素朴であるが故に、正しい意見として安易に捉えられやすいのだ。

 しかし、それ故に、素朴な意見は慎重に問い直されなければならない。嘘をつくのは悪いことだと皆素朴に思っているが、嘘をつく方が正しい場合もあるように。問い直しの方法には様々なものがあるが、多くの場合有益なのは、現状を理解することである。今回の「予算委員会では予算だけを審議しろ」という意見を問い直すならば、「なぜ予算委員会では『予算以外も』審議されるのか」を考えてみることがそれにあたる。


 しかし、残念なことに、簡単に政治学の教科書などからその答えを見つけるのは困難である。教科書は大抵の場合一般論の説明に終始するため仕方がないのだが、「日本の」「国会の」「予算委員会」という限定された仕組みについて詳細に説明するものはなかなか見当たらない。触れていたとしても、せいぜい「いわば予算委員会は、本会議の代替物として機能しているのである」(飯尾 2019: 88)のように、「現実としてそうなっている」ことの説明にとどまり、「なぜそうなったのか」について説明されてはいない。そこで、本記事では、「なぜ予算委員会では『予算以外も』審議されるのか」について説明することのできそうな、一つの仮説を提示してみようと思う。それは次のような流れで行われる。まず第2節では、予算委員会の「理想像」、つまり「予算委員会」と名付けられた制度が、公式にはどのような役割を持つことになっているかについて説明する。これはむしろ「素朴な意見」を擁護する説明である。次の第3節では、理想像と対置される、予算委員会の「現実」について考察する。ここでは、予算委員会それ自体はもちろん、予算委員会以外の制度・組織の特徴を見ることで、その裏側から予算委員会の「現実の役割」を汲み上げる作業となり、そこから結論に移る。最後の第4節では、第3節までの考察から得られる示唆として、国会改革の必要と、あるべき野党の行動について、簡単に私見を述べる、

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予算委員会とは:理想

 まず、予算委員会の「理想像」について説明しよう。一言で言えば「予算委員会とは『予算』を審議する常任委員会である」とするのが最もシンプルである。しかしそれだと何のことやらよくわからないので、先に「委員会」について説明しなければならない(またこれは第3節のための予備知識の提供でもある)。

 「委員会」とは、立法議会において、議会の一部の議員によって形成される、法案などの予備審査を担当する議論の場のことを言う(ちなみに、「国家公安委員会」などは「委員会」の名を冠するがこここで説明する「委員会」とは別物)。議員全員が集まる「本会議」で全ての法案をいちいち細かいところまで修正していては法案がまとまらず、個々の議員には審議するための時間と知識に限界がある。この問題に対応して、委員会が設置される。分野毎に分けた少人数の議論の場を作り、複数の法案を同時並行で審議することで、より専門的に、より速く法案を処理しようというものだ(大久保 2015: 3)。

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 この委員会がどれだけの重要性を持つかは国家によって異なるのだが、簡単な分類として、「本会議中心主義」と「委員会中心主義」というものがある。イギリスを代表とする本会議中心主義の国家においては、法案に関する議論の中心はあくまでも本会議にあり、委員会の役割はそのサポートをする程度となる。一方、委員会中心主義の国家では、法案の修正を委員会で済ませてしまい、本会議ではほとんどまともに議論をしない。せいぜいパフォーマンス程度に反対意見を述べ、党の方針などに従って票を入れるだけである。委員会中心主義を代表するアメリカでは、「委員会に対する議院の服従」という言葉があるほどだ(大久保 2015: 48)。

 では、日本はどちらだろうか。「委員会中心主義」をとっている、というのが一般的な理解だろう。国会においては委員会の議論こそが重要であり、本会議は割とどうでも良い。開会自体、必要最低限にしか行われない。このような状況があるため、本会議は「儀式化している」とすら言われる(久米・川出・古城・田中・真渕 2011: 200)。日本における委員会の力はアメリカのそれほど強力ではなく、本会議での多数派の意向がより反映することは指摘されている(川人 2005: 204)ものの、主な「審議の場」はあくまでも委員会であることは、日本の国会の特徴である。

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 また、ここで「委員会」と一口に言っても、日本の国会においては、さらに二種類にわけられている。「特別委員会」と「常任委員会」である。特別委員会は、何か重要な案件が生じたときに臨時で置かれるものであるのに対し、常任委員会は(開会するかはともかく)常に置かれている。閣僚以外の国会議員は何らかの常任委員会の委員となっており、いつでも開会できるようにはなっている。

 さて、「予算委員会」の話に戻ろう。予算委員会とは「『予算』を審議する常任委員会である」。これを言い換えると、予算案の修正の大部分を済ませ、本会議では採決するだけでよいようにするために、常に置かれている委員会、ということになる。法律上、予算委員会が所轄するとされているのは、シンプルに「予算」のみとなっているのだ(衆議院規則92条・参議院規則74条)。

 ここまで来た読者は、こう考えるだろう。「予算委員会では予算だけを審議しろ」という意見は正しいのではないか、と。その通り。正しいのである。ただし、理想論としては、である。現実を見据えたならば、この意見を安易に「正しい」と言い切ってしまうと、却って困難が生じることになる。


3.予算委員会とは:現実

 予算委員会は「予算」のみを審議するのが理想である。しかし本当に「予算」のみを審議するわけにはいかない。それは次の二つの理由による。

 一つ目の理由は、予算審議そのものの性質である。予算審議を行おうとすると、どうしても「予算以外」を審議しなければならなくなってしまうのである。予算とは、言うなれば「政府がある期間の政策のために使うことのできる税金」の計画書である。政府は法律によって権限を与えられ、その権限を行使してさまざまな政策を行う。しかし、政策を行うためには政策を行う権限以外に、それに必要な税金を使う権限も必要となる。まさに「税金からお金を配る」社会保障政策はもちろんのこと、何か公共事業を行うにはどこかの民間会社に「税金からお金を払う」必要がある。外交でも「税金から旅費やら接待費を出さ」なければならないし、警察やら自衛隊の装備も「税金で確保する」ことになる。どの政策にどのくらいの税金を政府が使うかを決めるのが「予算」の審議である。各政策はそれぞれできるだけ多くの予算を必要とするが、残念ながら税金は有限である。そのため、予算審議では、各政策・法案の優先順位を決めなければならない。優先順位を決めるには、どの政策がより重要なのか、それぞれどのくらいの予算が必要なのかを、時間と能力の許す限り精査しなければならない。関係者を呼び出し、「本当にこれだけのお金がいるのか」「そもそもこの政策にどれほどの効果があるのか」ということを尋ねるのだ。しかも、予算案を提出し、また決定した予算案を執行するのは内閣であるため、「そもそもこの内閣が予算を執行すること自体大丈夫なのか」ということも問われることになる。

 すると、予算委員会には、その名に反して、「予算以外も審議する委員会」、つまり「なんでも委員会」にならざるをえないという実態がある。むしろそうでなければ、文字通りの「予算」委員会にもなれないのだ。

 二つ目の理由は、予算委員会そのものというよりも、予算委員会が置かれている立場に起因する。現在の国会では、大臣などの人々の資質を問うことのできる「まともな」場が用意されておらず、その代わりに予算委員会の場を使わざるを得ないのだ。

 本会議で「資質を問う」のは難しい。既に述べたように、我が国は「委員会中心主義」をとっており、本会議は儀礼に過ぎないため、審議をする場とはみなされていない。では他の委員会はどうか?

 現在、国会で常任委員会としておかれているのは、予算委員会以外にも、内閣委員会、総務委員会、法務委員会、外務委員会、財政金融委員会、文部科学委員会等々、16もある。この中で各大臣などの資質を問うことができそうに見えるのは、予算委員会を除くと、その資質が問われる大臣が所管する分野に関わる委員会(例えば法務大臣であれば法務委員会)か、内閣委員会、懲罰委員会、そして国家基本政策委員会の4種類がある。けれども、実際には、これらでは極めて不十分である。順に説明しよう。

 まず、「各大臣が所管する分野に関わる委員会」であるが、ここでは各大臣一人一人の資質を個別に問うことはできても、首相について問うことや、内閣そのものについて問うことは難しい。そもそも当事者がいないからである。制度上は首相などにも出席を要求することはできなくはないものの、現実としてはそれこそ「関係のない事案を審議するな」に引っかかるため、困難となる。そうなると、当事者がいないのでは直接説明を求めることもできず、その追求の威力は大きく減ぜられてしまう(以前、「森ゆうこ参議院議員の質問通告問題」を巡っての、足立康史衆議院議員による質問がもてはやされたが、あれは森の所属していない衆院経済産業委員会で行われていたものだったりする。足立議員本人が前置きしているが、これこそまさに「他に追求する場がない」故に起こった出来事である)。

 次に、内閣委員会である。内閣委員会の所管はいくつかあるが、いわば「その他」としてまとめることができるだろう。またその名は、あたかも内閣それ自体を審議する委員会のような体となっている。しかし、実際にはそうではない。より正確な名称につけ直すとすれば、これは内閣「府」委員会である。

 「その他」と書いたが、その中身はより具体的には「宮内庁の所管に属する事項」「公安委員会の所管に属する事項」「内閣の重要政策に関する事項」「男女共同参画社会の形成の促進に関する事項」といったものとなっている(衆議院規則92条; 参議院規則74条)。つまり、内閣府が所管する(宮内庁や国家公安委員会は内閣府の下部組織である)政策について審議する場であって、内閣そのものについて審議する場とは想定されていない。そしてそのためか、内閣委員会に出席を要求されることが多いのは首相ではなく、官房長官や、各内閣府特命担当大臣となっているのだ。首相は、内閣委員会にはあまり登場しない。

 三つ目は懲罰委員会である。懲罰委員会というと、まさに大臣や議員の資質を問い、懲罰するための委員会に見える。それは正しいが、注意が必要である。ここでいう「懲罰」とは「懲罰事犯」、つまり議院内部における議員の問題行動(遊びに行ってて国会に来ないとか、問題発言を取り消さないとか)に対してかけられる懲罰のことを指している(国会法124条; 衆議院規則238条; 参議院規則235条: 236条)。議院外部で賄賂を貰ったり渡したり、違法行為を働いたりといったことは懲罰事犯にはあたらないため、懲罰委員会の管轄外なのだ。

 最後に、国家基本政策委員会を挙げよう。この委員会は1999年に新設された常任委員会であり、その目的は、「党首討論の場となること」である。これは既に挙げた他の委員会に比して、「資質を問う場」としての役割を持ちうる。党首同士が直接意見を戦わせ、討論できる場であり、また他の委員会と違って、政府側(与党党首)から野党党首対し、能動的に質問を投げかけたり、反論することも可能である。けれども、この国家基本政策委員会にも限界はある。目的が「党首討論の場」であることを少し深読みしなければならない。そう、党首以外が登壇しないのである。議事録を見ればわかるのだが、発言者は党首と会長(≒委員長)のみである。直接やりとりするのは党首のみであって、党首ではない閣僚や議員達が直接討論する場ではないのだ。党首以外の委員はあくまでも聞き役に徹することになる。しかも党首討論は原則週1回開催のはずだが、現実には会期中に1回か2回となっており、これは全く満足の行くものではないし、そもそも国会の全政党の党首が党首討論を行えるわけでもない。野党からは党首討論の運営見直しが求められていたが、2003年まで与党自民党が応じていない状況にあった(川人 2003: 233)。現在も改善は見られない。

 以上のように、これら4種の大臣の資質を問うことができそうな委員会は、実際のところ、そのような場として十分に機能しない(但し、かつての「政府委員制度」というそもそも閣僚達が直接答弁せずに官僚が答弁する仕組みより等があった時代よりは改善したのかもしれない)。では問題の予算委員会はどうだろうか?
 
 予算委員会は、他の委員会にない大きな特徴を持つ。他の委員会と異なり「予算」を審議するというのはもちろんだが、それよりも重要なのは「全閣僚が出席する」ことである。基本的には当該委員会の所轄事項を所轄する大臣や官僚しか出席しない他の委員会とはこの点が違う。どうやら慣例的なものではあるのだが、予算というものがあらゆる政策に関わるためか、予算委員会の最初の2~3日では、全閣僚vs与野党議員という形で質疑応答が行われる。追求したい議員達にとっては、わざわざ出席要求のための理由付けや根回しをせずとも、首相その他の大臣が自分から出てきてくれるのだから、飛んで火に入る夏の虫。こんなに都合の良いことはない、というわけである。

 また、予算委員会には他の常任委員会にはない「分科会」という仕組みがあることも、注目すべきである(衆議院規則97条: 参議院規則75条)。これは委員会の中にさらに委員会があると言ってよく、各政策分野毎により専門的な審議を各分科会で行うことができるのだ。こうなると予算委員会においても、細かい予算の話は各分科会にまかせておけばよいことになる。すなわち、委員会全体の質疑では、細かい予算の話「以外」に時間を使っても不都合がなくなる。

 「全閣僚が出席する」、「討論の時間に余裕がある」この二つの特徴を持つ予算委員会は、「他にそのような場がない」がゆえに、幅広い政策方針や政治スキャンダルについて、閣僚達と直接討論できる唯一の場となっているのが「現実」なのである。

 ここまででおわかりだろう。現実を見据えれば、予算委員会はその理想を多少逸脱してでも、「なんでも委員会」とならざるを得ない。「予算を審議する」という目的を遂行しようとするためにも、「幅広い政策方針や政治スキャンダルについて直接討論する場」を維持するためにも、「予算委員会では予算のみを審議しろ」という理想を振り回すだけではだめなのだ。むしろ現在の予算委員会は、「予算委員会では『予算以外も』審議する」という、「役割」を見事に果たしているのではないだろうか。

示唆

 ここまで、現状の予算委員会のあり方についての、仮説を立てた。残念ながらこの検証は、(できるだけはやってみるが)どうも私の手には負えそうにない。しかしもしもこの仮説が正しいのであれば、次の二つの意見が導き出せる。

 まず、国会改革が必要である、という意見である。現状の国会の仕組み、委員会の仕組みは、極めて分かりづらい。もう一度書くことになるが、「予算委員会では予算のみを審議しろ」というのは、素朴な意見なのである。そりゃあ「予算委員会」と書いてあるのだから、お金の計算をしている委員会だと思うのが普通である。各委員会の仕組み、役割を、その名称も含めて再考しなければならないのではないだろうか。「国民が主権者である」という民主主義の原理は、「国民が主権者として学ばなければならない」ことを含意するというのは、割と一般的な捉え方だろうと思う。しかし本当にそうか?「勉強しなければ主権者に値しない」のは本当に民主主義といえるのだろうか。

 次に、今回の野党の動きは間違いである。これはかなり想像力を働かせた「邪推」であるが、今回の「野党退席」は、「与党には屈しない」というポーズを示そうとしたものと言える。
以前、野党が新型コロナウイルス対策のために厚生労働委員会の開催を要求し、長らく与党によって拒否されていることを考えてみてほしい。

 おそらく、与党が厚生労働委員会の開催を拒否する動機の一つは、「桜を見る会」追求の封殺である。厚生労働委員会を開いてしまえば、新型コロナウイルス対策は厚生労働委員会の仕事となり、野党は「堂々と」予算委員会で「桜を見る会」を追求できるからだ。
これに対して、野党はどう考えるか。「桜を見る会」追求の手を緩めることはできない。追求の手を緩めると、疑惑は風化し、与党の思うつぼとなる。それは事実上の敗北宣言に等しい。すると、厚生労働委員会を開催させるためにも、予算委員会で「桜を見る会」を追求し続けるしかない。「厚生労働委員会を開かないからといって、追求の手は緩めないぞ」というアピールをしなければならないのだ。

 野党政治家は知っている。予算委員会は「なんでも委員会」であることを(また、現在ではどこまで適切かは不明だが、1955年以来形成されてきた自民党専用のカスタムカーのような政治制度(参考:飯尾 2008; 待鳥 2012等)によって、野党政治家達は「建設的な案を出したところで聞き入れられない」という諦めに支配されているのかもしれない)。

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 しかし、国民の大半はそうではない。彼らにとっての予算委員会は「予算委員会」であり、与野党の議論を尽くすことでよりよい政策ができあがると思っている。そのような状況で「野党退席」をすれば、それは世間にどう映るか?「また野党が税金泥棒してるよ」と言われても仕方がないだろう。多くの国民にとって、野党が退席するようなことは、あってはならないのだ。

自分の疑惑について明確に答えられないような人たちが、新型コロナについてまともに議論できるとは思えません。

しかし、新型コロナは喫緊の国民的課題ですので、これに関しては建設的な答弁を期待いたします!

という形で、せめて嫌味たっぷりに新型コロナの議論に移るという方策を、どうしてとれなかったのか。野党支持者の一人として、そう思っている。


ちなみにだが、予算委員会でスキャンダルについて追求することは、別に最近になって始まったものではない。具体的にいつからなのかは調査中だが、既に1976年の大スキャンダルであるロッキード事件においても、予算委員会での追求が盛んに行われており、それは1976年の第77回国会から1984年の第101回国会に至るまで緩みはすれども長々と、続いていたのだ(さらに、1988年に発覚したリクルート事件の追求においても、ロッキード事件が引き合いに出されることになる)。

※2
途中で触れた「党首討論」であるが、これは元々予算委員会で行うものとして構想されていたが、調整の末に、党首討論を所管する国家基本政策委員会を新たに立ち上げて実現したものだ、という話もある。これが事実化どうかは調査中であるが、このことからも、予算委員会が「なんでも委員会」であるという認識が、少なくとも国会関係者の中には存在したことの証拠となりうる。

※3
また、「党首討論」が導入された際、党首討論によって首相の負担が増大することを理由に、予算委員会における首相の本会議や予算・重要法案委員会への出席時間が減らされることになった(川人 2003: 231; 前田 2000; 62)。現状の不活発な党首討論を考慮すると、首相が直接答弁・討論する機会は減少したとも言えるのかもしれない。

○参考文献(本文中で言及したもののみ)
飯尾潤(2019)『現代日本の政治』放送大学教育振興会。
飯尾潤(2008)『政局から政策へ:日本政治の成熟と転換』NTT出版。
大久保和宣(2015)『パーク・バレル・ポリティクス:委員会制度の政治経済学』京都大学学術出版会。
川人貞史(2003)『日本の国会制度と政党政治』東京大学出版会。
久米郁男・川出良枝・古城佳子・田中愛治・真渕勝(2011)『政治学:補訂版』有斐閣。
前田英昭(2000)「国会の先例は語る(66)国家基本政策委員会」『国会月報』第47巻614号。
待鳥聡史(2012)『首相政治の制度分析―現代日本政治の権力基盤形成』、千倉書房。

産経新聞(web版)(2020.2.17)「衆院予算委退出の野党「水掛け論になる」と書面要求」(https://www.sankei.com/politics/news/200217/plt2002170027-n1.html 最終閲覧:2020年3月17日)
朝日新聞DIGITAL(2020.2.17)「【詳報】「ホテルが上様とした可能性」首相、一般論強調」(https://www.asahi.com/articles/ASN2G52HFN2FUTFK01M.html 最終閲覧:2020年3月17日



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コメント

  1. 匿名 より:

    現状と問題のわかりやすい良記事

    個人的には、汚職等のスキャンダルを専門的に質疑できる独立性の高い場が必要だと思うけど現実として実現しなさそうですね…

  2. 匿名 より:

    コロナが厚生なら、予算なんだから経済対策や消費税減税でもやれよ
    だからゴミ野党は存在価値がね~んだ

    • 匿名 より:

      さくら・もりかけ やればやるほど民主党支持率はゼロに近づく

    • 匿名 より:

      念のため追加するが、民主党が党名変えようが、離合集散しようが
      ゴミはゴミはゴミ箱へ

    • 匿名 より:

      財務金融委員会や経済産業委員会やから予算委員会とは別やね

  3. 匿名 より:

    誰が全部読むんだ?
    まとめろや

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