
はじめに
コロナ禍をめぐる政府の対応ぶりを目の当たりにして、国政選挙の重要性を改めて感じている向きも多いことであろう。
しかし一方で、近年の投票率の低下傾向もまた否定できない事実として存在する。こうした状況を踏まえ、本稿では、棄権票は結局のところ政権与党の取り分になってしまうということを説明したい。
日本国憲法前文の確認
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。」(日本国憲法前文)
政権与党による統治権力の独占
このように、本邦の国憲は人類普遍の原理に基づいており、国政(government(※))は国民の信託によっている。また、“government”に対して「統治」という訳語を当てるならば、「その権力は」以下の箇所は、「国政の権力すなわち統治権力は、国民の代表者がこれを行使する」という表現で抜き出せるであろう。
国民の代表者は投票で選出される。議会制民主主義国家である日本では、議会で多数派を形成した与党が政権の座につくことになり、議院内閣制によって、(行政府の長である)内閣総理大臣が与党議員のなかから指名される。
この場合、事実上、政権与党が国民の代表者として統治権力を独占的に行使できる。1億2千万人強の全国民からの信託を源泉とする権力が、(多数派とはいえ)人口の一部の集団に過ぎない与党へと集中するわけである。こうして政権与党は、総取りした権力を駆使して、自らに有利な政策を実施していくのである。
ただし、ここには一定の留保がつく。少数とはいえ、議会では野党もまた議席を占めているからである。当選した野党議員は、その得票数を背景にした影響力を有する。したがって、政権与党が独占した統治権力のうち、野党票に見合った分は、いわば分け前として差し引かれることになる。例えば、政府・与党が提出した法案への修正などがこの「分け前」に相当する。
棄権票のゆくえ
政権与党が独占した統治権力から野党票分を差し引いた残余は、選挙での与党獲得票分と等価だろうか?そうはならない。通常、棄権票が存在するからである。棄権した有権者も国民である。原理上、彼らも統治権力の源泉たる全国民のうちに含まれている。一方、選挙権を放棄した彼らを代表する議員はいない。結果として、彼ら棄権者は、その分け前を、政権与党が独占した統治権力から引き出せないことになる。つまり、棄権票は政権与党の取り分になるのである。
棄権はMottainai!
結局のところ、棄権とは、「投票権の無償譲渡」に他ならない。選択を回避しているようでいて、それは事実上、与党への投票と同義なのである。本来享受できるはずの分け前を取り返したいのであれば、有権者はガメツク投票所へと足を運ぶべきであろう。
※高見勝利[編]『あたらしい憲法のはなし 他二編』(岩波現代文庫)の対訳英文参照。

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コメント
まちがってもゴミ野党には誰も期待せんよ
ゴミから離脱することが第一にやることや
投票所行って投票した一人につき2万円支給ってやれば行く人増えるかもね
あとはネトウヨ撲滅してくれたら正しい情報と知識が手に入る
政府のコロナ対策で政治のあり方に何らかの形で危機を感じている若者は多いと思います
ですが、ちゃんとした選挙制度の知識、あらゆる選挙が自身の生活に関わってくるという認識がないと、実際に「自分の意見、気持ちが反映されるかも」と投票所に足を運ぶようにはならないのかもしれません
COVID-19が心配とはいえ、今回の静岡補選の投票率にはガッカリでした
同時に、自公支持層の投票意欲の高さを改めて思い知らされました
棄権モッタイナイ