縦じま部屋の猫は、横じまの夢を見るのか?――脳の認識、今見えているものは本物なのか

朔海あかり

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コラム
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 生後まもない子猫を縦じましか見えない部屋の中で育てると、その後、通常の環境に出しても「横方向」の物体に反応できなくなる。そんな話を耳にしたことはないだろうか。

 1970年にBlakemoreとCooperによって行われたこの実験は、生物の生育過程で脳のニューロ形成に臨界期があるとする根拠とされ、後にこの実験から派生した様々な実験が行われた(ゴンドラ猫の実験など。派生実験に関しては後程別の記事で触れたいと思う)。

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 「縦じま部屋の猫」実験は、脳の視覚細胞の発達には生育期限があり、その期限を過ぎた後(脳の視覚細胞が環境に合った形成を終えた後)もともとあった「横じまの視覚を処理する脳細胞」が発育しないというものだ。


 それは人間の第二言語獲得期限があるという「脳の臨界期」論の元にもなっている(※異論有り)。もっと限定していえば、今、日本の教育現場を混乱させている「英語学習」の早期取り入れの論拠ともなっている。

 だが、2005年に大阪大学大学院生命機能研究科の大澤研究室と、理化学研究所脳科学総合研究センターの田中氏のグループが共同で研究、発表した脳細胞の「可塑性」(状況に応じて変化適応する)実験が一歩踏み込んだ興味深い内容を発表している。


 共同研究チームが出した「可塑性」というのは、縦方向以外の処理が不必要とされた場合、脳細胞は、通常の環境下で発育した脳より、縦方向の角度の認識が鋭くなる、というものだ。脳が先鋭化して発達する、というのだ。


 この研究は、ニューラルネットやAIの分野へと繋がり、現在様々な展開をしているというが、今回は、「縦じまの部屋の猫」に限って話をしたい。 

 この実験を知ったのは、私が小学生の頃、LIFEの特集号で見たと記憶している。思い出したきっかけは、昨今のニュースを見ていて「私が今受け取った情報は、受け取った時に変わってしまっているのではないか」「私はその情報を処理することができているのか」と疑問に思ったからだ。

 人間が「見える」のは網膜細胞を通じて、明暗と光の波長を識別して「見て」いる。光の波長は、物に光が当たり反射したものを処理しているのであって、例えば海は「青い」と感じるが、その「青」は、太陽光が海水に反射した結果を人の網膜が識別して「海は青い」と判断している。海の青さは光の屈折のせいであって海水が青い訳ではない事は、私達は学校で学ぶ。

 光の屈折を知らなかった昔の人々は、海をどう見ていただろうか。光の波長が長くなり、空が赤く見える夕焼けを、どう見ていたのだろうか。私が日々見ている朝の海の青さや、夕焼けの赤みは、今、同じ時代を生きている人にも、同じように見えているのだろうか?

 話は「縦じま部屋の猫」に戻る。


 今度は視覚情報ではなく概念を情報と限定する。
 例えばその部屋には「民主主義」という概念と「議会制民主主義」という概念が欠落しているとする。その部屋にあるのは、「政治は面倒」「政治は関係ない」「まつりごとは偉い人で」という情報だけがあるとする。その部屋で育った「人間」は「民主主義」を見る事ができるのだろう

 「民主主義」を「正義の定義」に置き換えてもいい。


 その部屋には限定された「正義」があり、他の「正義」は存在しない。その「正義」のためには、他の人間の命を奪ってもよい、とあったら。その部屋で育った人間はどう行動するのだろうか。特定の「正義」に感覚が先鋭化してしまわないだろうか。 

 だが、私達は幸いにも「縦じまの部屋」の中にはいない。様々な情報に触れる事ができるはずだ。

 情報が入り乱れる現代だからこそ、先鋭化せず自分の視野を常にアップデートし、情報を俯瞰して処理する能力が必要なのではないか。そして、見えている「赤い林檎」が本当に赤いのかを確かめられるよう、常に自らの感覚を確かめる事をするべきではないか。

 何十年かぶりに思い出した実験を、今の日本に重ねて、私はこれをいつもより考える時間をかけて書いている。これからも、考える事を放棄したくないと思いながら。

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