《Wikipediaについての前回のレポート》
Wikipediaの桜を見る会問題のページが復活したり、差し戻されたりしている中、どうやら今はページを削除に動こうと決を取り始めている。


これはどういう動きなのだろうか、気になっていた。
そこで色々調べてみると、どうやらWikipediaではノートにて議論をして合意形成する前に、5chにおいて合意形成を図っている可能性が浮上したのである。




桜を見る会のページがWikipediaに登場してから、5chの当該スレは会話が飛び交っていた。
Wikipediaというのは「暴言」や「悪態」を厳しく取り締まる。このスレはその不満の捌け口という側面もあるのかもしれない。誰かの罵倒、中傷も含めて本音を言える場所となっている。
だがスレを読む限りでは本音だけではない。Wikipedia内での議論を放棄して、5chスレにてある程度合意形成なされてから議論をもっていくというやり方が常になっているのか、5ch内において方向性が決められている案件もチラホラ見受けられていた。
そしてさらに、5ch内で提示された桜を見る会問題のページを『削除するための論法』が、半日後、Wikipediaで丸っと酷似した形で「ページを削除すべきだが、どうだ」と投票を呼びかけているのだ。
5chとWikipediaに行ったり来たり常駐しているネトウヨはある種、ハングル板にいた原住民並みの化石のような政治思想や歴史観であり、それがWikipediaに蔓延しているのだろう。その声が大きくなればなるほど、当初はネトウヨ的な政治思想に毒されてなくとも自分は多数派に属したいという集団心理的も無意識的に働き、同調することで大衆迎合に陥り中立性を見失う。
Wikipediaは現在このような状況なのだと推測される。
彼らからしたら自分の立ち位置から見る中立と、通常語られる中立的な姿勢というものには若干のズレがあるのかと思われる。
「そうではない。中立性は担保されている」と異論を唱えたい者もいるだろう。しかしながら、一つ事例を取り上げると

A「この5chスレを見ていた者ではないだろうか。酷似している!」
B「なるほど、これは悪質だ永久ブロック!」
これが一部のウィキペディアンのやり方であったのだ。
桜を見る会問題のページについて、とある永久ブロックされたアカウントのブロック破りだと精査もせずに決めつけ、1人による多重アカウント運用での編集と根拠もなくこれもまた決めつけ、IPすら確認することなく編集者数人の弁明も聞かずに永久ブロックしてしまったのである。
私ならば「監視はすべきだが、今の状況では罰を与えるだけの根拠も証拠がない。客観性に欠け、根拠が薄弱である。永久ブロックなんて申し出はリジェクト」である。これが一部のウィキペディアンが忘れ去った中立性だ。
それをウィキペディアンの誰1人として指摘できていないのだ。これこそが問題であるのだ。
ウィキペディアンからみたら、あまりに近代的すぎて何を言っているのかわからないかもしれない。
Wikipediaの私の中での評価は、本来すべきWikipedia内で議論は捨て去り、5ch内において無意識的に多数派の意見に偏り、議論ではなく中身のない言葉の羅列だけで、民主的()にWikipediaを編集していく。いかに中立を装うとも、多数派の意見こそが中立であり真実だと勘違いをした百科事典である。
中立性に欠けたウィキペディアンによる編集が蔓延しており、情報を取得する場所として既に信頼性に乏しい。他のがオンライン百科事典たるものが必要不可欠である。
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